曹良奎という、かつて日本にいたという、絵描き

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 日本で使われるカタカナでは、「ジョ・ヤン・ギュ」と読むらしい。載せたのは、彼が1958年に書いた「マンホール」シリーズの一つ。彼の本は本屋になかった。新刊では発行されていない。ネットで調べたら、1960年に発刊された作品集が古本屋で出回っている様子。安くても6万円くらいする。明治大学の図書館にも置いてない。しかたなく美術雑誌に載ってやいないかと本屋でバックナンバーを繰っていたら、運よく1ページだけあった。とてもうれしくて写メした。

 もともと、この絵は、東京・竹橋の国立近代美術館で見た。「美術にぶるっ!」というイマイチなタイトルの企画展だったが、内容には圧倒された。近代の始まり(っていつなのか、明治くらいだったか)から昭和中盤あたりまでの日本の美術作品(正確には国内で描かれ、創られた作品でしかないのだが)が、ずらっと並べられていた。特に、このジョさんの作品には、陳腐な表現だが、息をのんだ。館内を2周してじっくり鑑賞してのに飽きたらず、日をあらためて再び出会いに来もした。

 とても簡素で地味な印象さえ受ける絵だが、実物は人の背丈ほど巨大だった。絵に吸い込まれるとはこのことを言うのか。当時、作品を忘れないために殴り書きしたメモには「マンホール ぬりつけられた色 えのぐ 不安をかられる穴の黒 これは圧倒的 みればみるほどすごい」と書いてある。結局、言いたいのは「みればみるほどすごい」という感動だけだったのだろう。

 それを急に思い出した。

 展覧会は2012年末~2013年頭くらいの会期だったから、もう2年半経っているのに、突如、自分の中にマンホールがむくっと姿を現し、むくむくっと急激に大きくなってきた。展覧会でいくつも絵を見たのに、マンホール、というかジョさんの絵は鮮明に覚えていた。印刷物を探し当てたが、自分の記憶の絵のほうが、それより鮮明で存在感を放っているので、あらためて実物を見たいなと思っている。

 さて、なぜマンホールはむくっと出現したのか。その問いに対する答えはなんとなく分かっているが、答えるのは野暮、かつ、しらけるので、やめる。

 ネットで調べる限り、ジョさんは、現在の韓国の南部にある普州(チンジュ)に生まれた。1948年に日本に密航。そして、いくつかの絵を残した後、1960年、当時は希望の国と思われていた(そのへんのことはパッチギ!なんかを参照)北朝鮮に向かった。その後の消息は知れないという。

 調べてみたら、1948年は大韓民国が建国された年。朝鮮半島の南北の分断が決定的になり、南半分(韓国)は西側陣営(アメリカ)の傀儡になった。1960年は言わずとしれた日本で安保改定があった年。安保改定を強硬に進めようとした岸信介政権に対し、国会前などで連日抗議活動が行われていた。

 マンホールの闇、行き場のないパイプ、転がる土管、土くれ。

 ジョさんはどこにいようとこんな心境だったのではないか。いや、「心境」もあるものか、という心境だったのではないか。それを自分を覆い隠さんような巨大な絵に込めたのか。