何を言っても響かない日がある

 今日はまだ明るいうちに帰った。洗濯をした。布団のシーツを換えた。あれほど億劫だったことが、明るいうちに家に帰ってくるだけで解決してしまう。

 日本人は不幸だ。ほとんどの人が明るいうちに家に帰れない。いや、まてよ。サザエさんの波平、マスオさんは明るいうちに帰っていなかったか。さて、はて。

 その真偽はさておき、PM6:00のまだ明るいうちに帰るのと、PM7:00の暗い道を帰るのとでは、1時間という物理的な時間以上の心理的な差異があるのではないかと、今日は思った。

 さっきまで、何か意味のあることを書こうとして、書いては消し、書いては消し。変に見栄を張って、偉そうなこと書かなくても、いいじゃないかと思い直した。

 何を言っても、何を書いても、響かない。今日はそんな日かと思ったが、まだブログを始めて4回目。単に慣れてないだけだ。これは日記とも違う。日記は基本的に書いたものは書いたままだもの。だからどうした。へのへのもへじ

 布団に潜るとき、このままでええや、思った。

 布団を蹴るとき、このままじゃダメだ!思った。

言葉遣いについて

 安保法制。今、マスメディアを賑わしている話題だ。しかし、テレビを見ないものだから、いまいち危機感が伝わってこない。最近、勉強不足を痛感しているので、自分の感覚がずれている(先週日曜日には国会周辺で20万人デモがあったようだし)だけかもしれない。

 細切れに伝わるニュースをちらちら見ていると、安倍政権とその周りにはびこる政治家連中が、気が狂ったかのような物言いをしていて、かなりびびる。印象論だけかざすようだが、安倍晋三からは人間性を感じない。ザ・腹話術人形だよなあ。

 個人的見解を述べると、安保法案の問題は、これから起きる諸問題の一つの形態に過ぎないのだと思う。安倍政権は、基本的人権も抹消しようとしているし、まだまだやりそうな雰囲気だ。特定秘密保護法が成立し、施行された以上、止まることをしらない。

 また勉強し直そうと思う。

 ところで、ブログを始めるからには、普段の文体とは全然違った文章を書いてみたいと思っていた。しかし、まだ憑かれている。大学生の頃より文章が下手になったなあと落ち込む時もある。リハビリのつもりで続けたい。

 日本の新聞(あるいは業界紙に限った話かもしれないが)には、純然たる「コード」=言葉の法則がある。ときに海外発信の記事の翻訳を読むと、クールでドライでシャープで(決して「スマート」ではない)、内容以前にコードの隔たりが浮き上がってくる。

 例を挙げよう。記事を書いていて、文末をあいまいにする言葉がたくさんある。最もポピュラーかつ最も分からん言葉が「~の模様」。何の模様だこの野郎。これはできるだけ使いたくないが、なぜかよく見る。「~とみられる」「~のようだ」「~の予定」「~の見込み」「~の見通し」「~となる可能性」などなど盛りだくさん。「など」という言葉も便利。いろんな名詞の後ろにつけるだけで限定を避けられる。つまりこれらは「逃げる」ための言葉である。

 こういう言葉にいつも囲まれているから、厭になっちゃうのよ。いや、それでも「国民を守るために!」とか「合憲だと言ってる専門家はたくさんいる!」とか何でもいいが、根拠のねえクソ断定を繰り返す連中を思うと、なんかどうすりゃいいのか分かんなくなってきた。

 こういう禅問答はもう止めにします。もよおす前に出そうとするからダメだ。ちゃんと食べて運動して、規則正しく脱糞すること大事。

 おそ松くんでした。

「ヘイトスピーチ」

 安田浩一著『ヘイトスピーチ』(文春新書)を読んでいる。昨日から読み始め、まだ3分の1ほどだが、大きな衝撃を受けている。何もどぎつい描写が目白押しだとか、そういう意味ではない。書かれていることは、テレビや新聞などとそうは変わらないと思う。新情報があるわけではない。ただ、その「ニュース」を巡る人々の思いをすくい取っている。これは、丹念な「取材」があってこそ。そういった著者の姿勢が伝わってきて、いち記者として、とても感動したり、恥ずかしくなったりしている。

 実は、私も1~2年前、ヘイトスピーチが巷で騒がれ出した頃(そのカウンターも起き始めた頃)、日曜日の昼下がり、東京・新大久保に向かったことがあった。

 直接、大久保駅に向かうのは気が引けたので、東新宿駅からデモ隊を待つことにした。正直に言うと、デモ隊とカウンター隊(しばき隊)がやり合っているとう話を聞いていたので、びびっていた。だから、新宿方面から偶然、デモ隊に遭遇した人物に自分を見せかけようと思った。

 「差別主義者がのさばっているのは許せん。こうしたことは止めさせたい。どうにかしたい」。こう頭では考えていたが、本心は違うところにあった。ただ単に、ニュースの核心に迫ってみたかったという興味本位のところがあった。

 デモ隊は、職安通りを大音量で練り歩いてきた。公衆の面前では言えないような言葉を次々とコールしていく。周りにはしばき隊の人たちがおり、罵声を浴びせ合ったり、小突き合いが起きたりしている。私は、歩行者に見せかけてしばき隊の中に入り、その様子を見ながら、「関係者」と思われないように、少ししたら横道にそれる、といった行動を繰り返した。両者ともカメラを構えていて、「お前の顔をさらしてやるぞ」と言い合っていた。私は、絶対にその渦中に入りたくなかった。どちらの人たちとも目を合わせないようにした。

 明治通りに入ったデモ隊を先回りして、大久保通りにやってきた。これからデモ隊に荒らされる通りには、日韓の友好を願ったプラカードを持った若者がいたり、お店の人たちが店先から不安や怒りをない交ぜにした顔をして立っていたりした。私は、その通りの前を何食わぬ顔で歩いた。まるで何も知らないかのように。だいたいことの様子を見終えたと思った私は、デモが終わる前に大久保の街を後にしていた。

 その後、ことある事に私は、大久保のヘイトデモを見に行ったと誰彼に話したのだった。時には、しばき隊の一員として、くそやろうどもを成敗してやっと息巻いたかもしれない。それから、私の中でヘイトスピーチは、どんどん小さな事象になってしまったように思う。ことが起こっている現場に行ったことを、免罪符にしてしまったのだ。

 「現場に行くことが、想像力を失わせてしまうこともある」。誰が言ったことではないが、そういうことだろうか。記者という職業に限ったことではないと思うが、「現場主義」という言葉がある。確かに、現場を見る、体験することは重要だ。現場でしか得られないものが確実にある。しかし、それにあぐらをかいてはいけない。生かすも殺すも本人次第なのだ。

 おそらく、震災を巡っても、同様のことが言える。被災した人たちは、常にそこにいる。そのことを忘れてしまうことがある。

 さて、一般論を語って、当初の「ヘイトスピーチ」に関する事柄を消化してしまうことこそ、もっとも避けたい。まずは『ヘイトスピーチ』を読んで、また大久保の街や、何かにさらされて生きている人たちのことを、思ってみようと思う。

まずは

 話すべきことが何も出てこない。ふだんは記事を散々書き散らしているのに。

 新聞記事は貧困だ。言葉が細る。決まったセオリーがある。その「型」にはまると、気持ちいい、よく書けたと思うが、言葉が途端につまらなくなる。そのつまらなさに、ときどき嫌になる。理想をかかげたくなる。自分だけの理想。ただ、それを外に見せず、証明もしないのは、ずるいよなと思った。

 「言うだけなら簡単だが、実行するのは難しい」。確かにそうだ。

 「日本のジャーナリズムは、政府広報に成り下がった」。確かにそうだ。そして1行前に戻る。

 ふだん、あらゆることへの違和感を心の内に湛えて生きている。そういったことを吐き出そうではないかと思っている。